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東大寺 戒壇院、転害門 [Travel]

東大寺戒壇院の四天王を最初に見たのは、土門拳の写真だったでしょうか。いつか実際に見てみたいと思っていました。

戒壇院は、大仏殿を正面に見て左に曲がり、かなり分かりにくい矢印を辿っていった先にあります。想像していたよりずっと小さく、こじんまりとした建物でした。

中に入ると、一メートルほどの段があり、その四隅にかの有名な四天王像が立っていました。
近くで見ると、塑造の質感は、木造や乾漆のそれとはずいぶん違います。あの眉や目の表情のリアルさ、全体の立ち姿の静かさ、触れたら動き出しそうな感覚は、塑造ならではのものだと思いました。

こうして、本来の場所に、自然の照明の下に、本来の役目を果たすために立っている仏像は、やっぱり、なんともいえずいいものです。


外に出て、正倉院をフェンスの隙間から垣間見ながら歩いているうちに、市道に出てしまいました。
そのまま道なりに坂を下って、転害門へ。

東大寺創建当時から残っている唯一のもので、もちろん国宝ですが、大仰な囲いも人気もなく、すぐ目の前はふつうの国道で、車やバスがみっちり渋滞していました。
最近では、鳩やら野良猫やら排気ガスやら、いろいろ問題視されているようですが、転害門はもう千年以上もそこにあるわけで、あんまりそんなことは気にしていないように見えました。


街を歩きながら、ちょっと目線を上げると、古の奈良の都の人たちが見たのと同じ、なだらかな奈良の山々と青い空です。
奈良は、いつ来ても、なんだかとても優しいです。

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興福寺の阿修羅と仏頭 [Travel]

近鉄奈良駅から地上に出て、ゆるい坂道を歩いて、鹿せんべい売りの屋台が見えれば、もうそこは奈良公園。

右手の五重塔が興福寺です。
公園との境がないのは、明治の廃仏毀釈で塀が全て壊されてしまったからだそうです。

あの有名な阿修羅像は、宝物殿のガラスケースに入っていました。

以前は奈良国立博物館のホールの中央に一人で立っていた気がするのですが、ここでは天竜八部衆のお仲間と一緒です。
しかし、この一体だけは、どこにあっても、なんだか完全に別のものに見えてしまいます。
他のどれにも似ていない、なにか特別なもの。不安定な、目を凝らしても見えないような、ゆらゆらしたなにか尊く儚いもの。
いったい、これを作った人は、どんな人だったのだろう・・・だいたい、これは仏像なんだろうか・・・。


少し混乱したまま、フラフラと人のいない方に行くと、旧山田寺仏頭の前へ出ました。

写真から想像していたより、ずっと大きいです。ツヤツヤしています。重そうです。
焼け残った部分しかないのに、完璧な造形と曲線と、まるで最初からこういう形だったような、不思議な安定感。
これはすごいものだなーと、しばらくの間マジマジと見入ってしまいました。

どでん、と置いてあるこの仏頭の頼もしさと存在感に助けられ、最後にもう一度阿修羅を振り返って、興福寺を後にしました。

次は東大寺です。

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東寺 食堂の四天王 [Travel]

東寺といえば、講堂の二十一尊、密教立体曼荼羅。

扉を開けて入った瞬間の、あの息が詰まるような、引き込まれるような感覚はいったいなんだろうと、毎回思います。
薄暗がりの中に現れる持国天、梵天、そして見れば見るほど怖くなってくる不動明王・・・。

苛烈な京都の夏でも、講堂の中はなぜか涼しく、時にうすら寒く感じるのは、見ている側の煩悩の多さゆえ!?

なんとなく逃げるように隣の金堂へ。
桃山風の広く明るい空間、薬師如来坐像と日光・月光菩薩に手を合わせて、心を静めます。

次は五重塔。
本居宣長もここに登って京都の町並みを眺めたとか。京都のシンボル、洛南のランドマークは、近くで見るとまたいいものです。

瓢箪池のそばをゆっくり歩いて、茶店で休んで・・・最後に、食堂(じきどう)に入ります。

昭和5年(1930年)師走の寒い日、食堂は失火で全焼、内部に安置されていた千手観音立像と四天王像も焼損。
全身黒焦げになった四天王像の国宝指定は解除され、その後長く、そのままの姿で金堂の床の上に横たえられていました。

四天王が再び立ち上がり、食堂に戻ったのは平成5年(1993年)のことです。

檜一木造り、高さ3メートル以上、全身炭のカタマリになっても、がっしりと立っている四天王。
魂が宿るということがあるならば、これもそのひとつかもしれません。

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宇治のフェニックス [Travel]

宇治には、京阪宇治線でのんびりといきましょう。
中書島 - 観月橋 - 桃山南口 - 六地蔵 - 木幡 - 黄檗(おうばく) - 三室戸 - 宇治

宇治は、源平合戦幕開けの舞台。
かつて以仁王や義経が渡った宇治川の流れ。宇治橋に立っていると、川面の風が気持ちいいです。


「鳳凰堂」は、予想よりも、ふたまわりくらい小さい印象で、目の前にぱっと現れて、「ほー、これがあれか」、となる印象は、金閣寺に似ているなと思いました。

屋根には一対の鳳凰が立っています。でも、実はこれは複製で、実物(国宝)は宝物館にあります。
千年の風雪には耐えられても、大気汚染と酸性雨には勝てない、と。

やや薄暗い展示室で、ガラスケースに入った鳳凰が向かい合っています。
立ち姿の凛々しさと、精緻な迫力。間近で見ると、なんというか、怖いくらいです。

「鳳凰」という字の下に、英語でフェニックスと書いてありました。
祈りは時間を超えるものだと、この鳳凰は言っているのかもしれません。

すごいものを見ちゃったなあ、これはまた来ないとな、と思いながら、また京阪電車に揺られて帰りました。
とても暑い日でした。
これが私の宇治の思い出です。


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